古くは弥生時代の遺跡から、この藤の織物に類する出土例もあり、
「万葉集」にも、「須磨の海人の塩焼衣の藤衣」(3巻413)、
「大君の塩焼く海人の藤衣」(12巻2971)など
藤が海人の衣服として使われていたことがわかります。
この藤織りは、北海道と沖縄を除く殆ど全国各地で織られていました。
江戸時代の中頃、木綿が一般に普及するに伴い、
庶民の衣料材料は、それまでの藤や麻といった木や草の皮の繊維から、
木綿へとかわっていきました。
綿の栽培が出来なかった高冷な山間部では、
明治・大正期に入ってもなお藤織りがおこなわれていました。
しかし、それも時代の流れのなかで、次々と姿を消していきました。
ところが、京都府北部の丹後半島の山間部・宮津市字上世屋、下世屋、駒倉などでは、
比較的最近まで藤織りが続いていました。
このうち上世屋では、数人のおばさんたちによってその技術が今日まで伝えられてきました。